玉木文之進旧宅

松陰の叔父であり、松下村塾の創始者である玉木文之進の旧宅。「松下村塾発祥の地」でもあります。



奥田瑛二



東光寺

 萩藩三代藩主毛利吉就が建立した、毛利家の菩提寺で、総門、三門、鐘楼、大雄宝殿は国の重要文化財に指定されています。

 本堂裏にある毛利家墓所は国指定の史跡で、吉就から11代までの奇数代の藩主とその奥方及び一族、関係者の墓があり、墓前には藩士が寄進した500余基の石灯籠が立ち並んでいます。圧巻!


 


 
三 門 本 堂 毛利家墓所 5, 7, 9, 11代の 墓標
奥方を含め10基

生誕の地

天保元年(1830)に萩藩士杉百合之助の次男としてこの地に生まれた。通称は、寅次郎。
現在は、建物の敷石と産湯の井戸が残っているだけ。 萩の町を見下ろす高台にあります。


墓所

 松陰の墓所は生誕の地のすぐ近くにあります。  表に「松陰二十一回猛士墓」、裏に「姓吉田氏、称寅次郎、安政六年己未十月二十七日於江戸歿、享年三十歳」と刻まれています。

 この墓所には、杉百合之助、吉田大助、玉木文之進、久坂玄瑞など一族の墓のほか、門人の高杉晋作(下)などの墓が立ち並んでいます。



揖取素彦旧宅地

 文政十二年(1829)、藩医・松島瑞蟠の次男として生まれ、12歳のとき小田村家の養嗣となって小田村伊之助と改めました。

藩校明倫館で教授し、のち吉田松陰の妹・寿(ひさ)と結婚して、松下村塾でも指導しました。

寿に先立たれた後に、久坂玄瑞の未亡人であった末妹の美和子(文)と再婚しています。

     
大沢たかお
 
優香
   
井上真央

Copyright(C) TinyTrip